お店のアイデアを考える
いざ帰国し、お店をリニューアルするのに当たって自分のぼやけたイメージを明確かさせるに当たって何をするか???と自問自答した時にフランスで撮りためた約15000枚の写真を整理してより具体化する事を試みようと思いました。
Paris
遂に今日で最後の日になってしまった フランスの1カ月滞在はあっという間だ
今日も昨日と同じく、前半はお土産タイムだ、まずマドレーヌ駅へ私のお気に入りブランドのセントジェイムスのシャツを買いに行く、日本の値段の7掛けで買えるのだ
その後一昨日行ったレアル駅のモンマルトル通りで、デキャンタ用のポ リヨネ
陶器を購入!少々思いので明日の運搬が心配だ
その後ポンヌフ駅で下車し愛の橋へ行ったが鍵が括りつけられてる場所が撤去されていてショックだったが鍵は違う場所に括りつけてあった。
一旦ホテルに戻り今日は敢えてパリで観光客が立ち寄らない、区、場所を行ってみる事にした。
まずはグランド・モスケ・ド・パリへ
ここは、フランスにあるモスク。ヒスパノ・ムーア様式(fr)で、付属するミナレットの高さは33mである。パリ5区、ジャルダン・デ・プラント地区、ジョルジュ・デスプラ通りに位置する。1926年7月15日、シ・カドゥール・ベンガブリット(fr)によって創設された。グランド・モスケは、イスラム教とイスラム教徒の可視性にとって象徴的な、重要な場所である。
ここの一角がフランスの空気を全く感じず異国の地を訪れたのかと錯覚した。
そこからプレイス イタリー駅で今日の目的のバスク専門料理のChez Gradinesに行くが回転まで1時間あるので、違う店で時間を潰し、再びChez Gradinesに向かう、この店は13区にあるのだが、完全に地域に根差したお店だ
そんな中でも私のようなよそ者にも差別せず優しく接してくれて、しかも料理はボリューミーで安く地域に根差した街の定食屋だった。
注文はパテドバスクとピペラードだ
本家本元のバスク地方で食べたかったのに、食べれなかった料理がパリで食べれるのは嬉しい。
最初にタップウォーターが出てきてから
パンが凄い量出てくる。
そこからのパテ ド バスクだがほぼパテドカンパーニュとルセットは変わらず添えられてるものが緑唐辛子などバスク産の物で、肉感が強く美味しかった。
そこから人生初ピペラードだが
これもガルニのジャガイモが凄い量で炒り卵の中に3色のパプリカが入っていて、その上にハムが乗ってる素朴で豪快だが親しみがありホッとする料理だった。
この店はスタッフもフレンドリーで楽しそうに働いていて、その空気感が緩くて店の雰囲気は心地よく、今回のフランス旅行で3本の指に入る名店だった8時が近づくと店の中はほぼ満席になった。
ほぼ店の中は4人掛けテーブルだが
隣に2人客が入ると、パンとタップウォーターはシェアーしてくれとスタッフが言った。
なんかこれ、凄くいいなぁ〜と思った知らない人同士がコミュニケーションを取るきっかけになるし、スタッフさんが
シェアしてくれと言ったのは、もしかしたらこれが狙いなのかも知れない。
フランス旅行最後のご飯にふさわしい、本当にいい店だった。
その後13区のチャイナタウンを目指し
ポルト ディヴィリー駅へ、この街は昔ながらの古い建物は無く高層ビルが立ち並ぶ団地で周りにあるレストランは中華ばかりで、パリに来た事を忘れてしまうような場所だった。
パリを訪れたのは4回目だが、こんな場所は初めてでパリの新発見だった。
今回合わせてパリに6日滞在したが観光する人はパリの綺麗な表面上のイメージしか捉えて無いと思う。
シャンエリゼ、エッフェル塔、凱旋門もパリだが、本当のパリらしいパリは今日訪れたような地域に根差した人々が住む場所にあるのでは無いかと思う。
私はパリは好きだがパリで生活したいとは思わない。
何故ならアジア人としての意識を忘れないといけない、その街に同化し無いといけない、人によっては意地悪な奴が多く、同じフランス人のようにみんなが平等に接してくれない事、生活する為の物価も高い事だ
逆に美点は個人の生き方、考え方にポリシーがありマイペース、あまり干渉しない、言い換えると日本と違って人の目を気にしてとかが、あまり無いのだ。
とは言っても日本に慣れてる私は日本が一番住みやすいのだと思う。
自分の生まれ育ち、生活する場所は何よりもかけがえの無い場所だ。
憧れは憧れで、いざその場所に出向き自分の判断でその街、街を感じられた事、これは私の人生の大きな財産だ。
本当に有意義な旅であった。
I love Paris /Vanessa paradies
Paris
ここ3日間パリは30度越えが続き暑い
ホテルの部屋はエアコンが無いので寝苦しい日が続く…。
最後の3日間パリ2日目はクリニャンクールの蚤の市からモンマルトルへそこからピガール、ムーランルージュと廻る
今日は朝からアベコベである
ホテルのあるオベルカンフ駅の改札に切符売り場が無い…。仕方無く隣駅へ出る
そこから、4号線に乗り換えポルトドクリニャンクールを目指すも何と一定の区間が今日まで閉鎖らしい…。
フランスに来て一月だが、こういうの日常なんでなれたが…。面倒だ…。
どうやら一定の区間はバスが出ているので、マルカデ ポワンソニエ駅からバスに乗り継ぎ
なんとかクリニャンクール駅へ着く。
降りて思ったのは街が汚い
ここはパリの隣街のサン トゥーアンになるが何しろ移民が多く生粋のフランス人が少ない
蚤の市の入り口に入る
この通りはなんか東京で見慣れてる景色だなぁと思ったらちょっとアメ横に似てた。
ただ商品が嘘くさいので、あまり購買意欲を駆り立てられなかった。
そこからアンティークのブースに移って
3年前に訪れた屋内の絵画などのブースに行く
ここは私がお気に入りの店で昔の古い広告の切り抜きが沢山置いてあって、今回も買いまくってしまった。
そうしたら今回も5ユーロ割引きしてくれた。そこから色々散策するが、酷い所はゴミ同然の物を売ってたりと。マーケットの規模はデカイが相変わらず見たいと思う店は数軒しか無かった。
途中強い雨が降り慌てたが、今日はすぐに止んでくれた
そこからモンマルトルを目指す、最寄り駅はアベスだ、ここは地下から地上までの階段が非常に長く途中でめげそうになりそうだった。
かれこれもう、ここは4度目なので昔程の新鮮さは無いが古き良きパリを味わえる重要な場所なのでパリに来た際は必ず訪れる場所だ。
ここでは、お土産のパリグッズを買いまくる、そこから30度越えの暑さにダウンしそうだったのでカフェに入る
注文はディアボロ マントだこれはスプライトにミントシロップを入れた夏場になると人気がでるメニューだ
これ普通に美味しい! 乾いた喉にはミントの清涼感が心地よいのだ!
また、フランスのカフェの特徴は氷が少ない。
また歩く気力が湧き出た私はモンマルトルの丘を降りて、ムーランルージュがあるピガール方面へ散策する、この通りは
パリの歌舞伎町と言ったとこか、如何わしい店が立ち並ぶ
また喉が乾いた私はパリの有名カフェのchat noirに入る、歴史は古く1881年から営業をしている。
とは言っても、なんの変哲もないカフェだった。
3分程歩くとムーランルージュを見つけ記念に写真を通ってホテルに帰った
そこからまた、何処か行こうとも考えたが何しろ今日は暑すぎて動きたく無いので、ゆっくり過ごすのだった。
Bang bang /Dalida
Paris
いよいよ今回の旅も残り3日間を迎える最後はパリでゆっくり3日間を過ごす訳は無く私の事だろうから一日中動き廻る事だろう。
10時半に今日の宿泊先のオテル デ メタロへ移動、ちょっと着いたのが早過ぎたので荷物を預けて、後でチェックインしようと思ったが、レセプションの人が親切で時間が早いのにも関わらず部屋を用意してくれた。
今回の旅はフランスの郷土料理に絞り各地方を回って来たが、一つ心残りな事があるとすると、各地方の土産を満足に買えなかった事だ
何故ならそれは荷物になるのと旅の移動に支障をもたらすからだ
特に前半訪れたアルザス陶器は欲しかった…。現在パリでアルザス陶器を扱ってる店を探したのだが無い…。
パリに帰れば、何処かあるだろうと安直に考えてたのを後悔する。
そんなこんなで、最後の3日間は何をするかというと買い物に絞り込む事にした
悲しい事に明日が日曜なんで、おそらくやってる店が少ないので【月曜も】自質
2日間の買い物時間と思った方が良さそうだ
今日はパリの合羽橋と言われてる、レアル駅のモンマルトル通りのキッチン用品屋に入り浸ってしまった。
私的にはモンサンミッシェルとか行くなら、パリでこうやって買い物をする方が幸せを感じるのかも知れない。今日はずっとワクワクしてしまった。
早速モンマルトル通りを歩くと
最初に見かけたこの店
Deco Reliefはパティシエ専門の機材屋で楽しいがあまり必要性が無いのと合羽橋でもあるので数分で出た。
次はMora
ここは先程と同じくパティシエ専門の道具屋だが品揃えが豊富で楽し過ぎた
特に銅製のカヌレの型は日本で買うより3分の1で帰るので、ちょこっと心が揺れ動いた。買うか買わないかは月曜に持ちこしだ。
続いてLa Bovid
ここは現代的な調理器具が揃ってたり資材に力を入れてた店だった。
続いてa.simonここは皿、グラスが豊富でポ リヨネと陶器のデキャンタ瓶がお洒落で一目惚れしてしまった。
腹が空いたのでその後近くのカフェでランチをするステーキアンドフリットとエスプレッソのセットを頼むがステーキは塩味が付いて無くてあまり美味しく無かった、ステーキを出された時同時にマスタード、ケチャップ、塩、胡椒が付いてきて、それを好みで調整するらしい。
しかし、海外の観光客は何処へ行っても
ステーキを頼む人が殆どだ。
その後ホテルへ休憩に戻り調べると
重要な店に行き忘れてた事に気づく
再びレアル駅へ戻ると。
E.DEHILLERINと言って飲食店用品の卸しの店で品揃えがあまりにも豊富でびっくりだった。
その後以前から、どうしても行きたかったビストロヴィクトワールへ移動
ここはルーヴル美術館近くで恐らくパリの最安値のビストロで有名でガッツリの伝統的なフレンチが食べれる店だ。
何よりも、ギャルソンが差別無くどのお客さんも平等に普通に接してくれるのが嬉しく、フレンドリーだった。
フランスでは店によってはアジア人をあからさまに邪険に扱う店もある中でここの店のサービスは素晴らしかった。
注文はブルゴーニュのワインと鴨のコンフィとプロフィットロールだ正直どれも美味しかった。鴨のコンフィはナイフを通すと簡単に解れてしかも皮面はしっかりパリっと焼いていて、塩の加減が絶妙だ、プロフィットロールはシュー生地と暖かいチョコレートソースのバランスがよく、これは本当に美味しかった。
店を後にし散策すると日本食のレストランが立ち並ぶ通りがあった。
saint anne通りだ、なんと無くだがここの通りを歩くと不思議と安心する
ここは何ちゃってでは無く、ちゃんとやってる店が多く、もっと早く知りたかった。この辺は日本人、アジア系の人が多かった。おそらく先程のレストランのギャルソンが親切なのは日頃からアジア人と関わる事が多かったからだろう。
今日は知らないパリを沢山知れた日だった。
Mont-Saint-Michel
今日はフランスに来たら世界中の観光客が訪れる地、モンサンミッシェルへ向う
9時40分出発の為20分前にホテルを出る
レンヌ駅北口正面のバス乗り場で待つ停留所には私と恐らく観光客らしき親子がバスを待ってた
10分経ってもバスは来ない
その時、西側の方から市内バスより大きいナント行きのバスが通り過ぎた
なんかおかしいので、そのバスが通り過ぎた方向へ向かうと、そこが長距離バスのターミナルで、そこにモンサンミッシェル行きのバスが待機してた
私が待ってた停留所は市内バスの停留所だった
私はさっきの親子に教えるべく、急いで市内バスの停留所に戻ろうとしたが急いで走って足を捻り、走れそうも無く、間に合わ無いのでバスに戻る事にした。
案の定その親子は大きいジェスチャーを見せたがそのバスには乗れなかった。
次のバスが2時間後なんで可愛いそうな気分になった。
今回のこのバスはさすが、モンサンミッシェルだけあり片道で15ユーロ取られる。
時間は1時間なんで、他の地域のバスで考えると高い
途中バスはモンサンミッシェルが近づくと渋滞に巻き込まれたが、運転手さんが裏道を使い
なんとか、20分遅れくらいで着いた。
これがもし8月だったらどれ位混むのかと考えるとゾッとする。
そのバス亭から更にモンサンミッシェルの無料のシャトルバスが出てたが
私は敢えて歩く事にした。距離にしたら、そのバス亭から1km程だ
歩くにつれ、モンサンミッシェルが近づいて来る度絶景で、私はカメラのシャッターを切った。
ついに入口の前に来たが
正直話すと、え!?こんなもんなんだ!? 思ったより小さい!が正直な感想だった
中に入ると。観光客のあまりの多さにテンションが下がる
中々身動きが効かないのだ、喉が渇いた私は自販機でスプライトを買うと3eとしっかり観光地値段だった。
その後散策するも、何処も人と暑さで疲れた、記念なんでオムレツを食べにレストランへ入ると。
ここも人が沢山だった。
期待してたオムレツはクリーミーでふわふわだったが、余り美味しく無く、しかも私のテーブルには、パンと水が出てなかった、何が腹立たしいかというと、出して無いの知ってるのに知らない振りをしてる店員だった。
これで完全に帰りたいモードになった私はモンサンミッシェルを後にした。
恐らく混み方、時間帯をリサーチすれば良かったが、今更しょうがない。。。
あの乗り遅れた親子は、もしかしたらゆっくり見れたかも知れない。
正直同じような街並みだったら、コートダジュールのエズ、サンポールドヴァンスの方がいいし
同じ城だったらカルカッソンヌの方が数倍良い。。。
余りにも、メディア等で人気が一人歩きし過ぎな気がする。
とは言えこれだけ集客できるのも、魅力とかメディアの使い方が上手いのは感心だが
フランスの有名観光地で一番商売臭が強い場所だった。
とはいえ、これはこれで思い出の1ページとなることだろう。
今日の1曲
Bitter sweet symphonu /The verve
Renne
今日は今迄で一番遅い出発11時59分の列車でトゥールから更に北西へブルターニュ地方の首府レンヌへ向かう。
レンヌ駅に着くと今日のホテル、カンパニールレンヌ サントル ガールは駅から100mの場所なので地図無しでも簡単に見つけることが出来た。今迄のホテルの中で一番現代的でハイブリッドだ
さて、このブルターニュ地方は
ケルト系ブルトン人の言語、風俗が強く残存した地域である。
日本の近畿地方ほどの面積に、茨城県と同程度の人口が集まっている。
最大都市は州都であり学術都市でもあるレンヌでこのレンヌはモンサンミッシェルの中継駅として有名だ
このブルターニュ地方の代表料理と言えば蕎麦粉のクレープ【ガレット】だ
その中でも有名なのがガレットコンプレットと言うハム、グリュイエールチーズ、卵をつかったガレットだ
ブルトン語では「クランプーズ」 (Krampouz) といい、語源的にはゲール文化との関わりが指摘される。
ブルターニュ地方は雨が多く小麦の育成には不向きな土壌であり、痩せた土地であった。
ここに中国原産のソバがイスラム諸国を経由して十字軍の持参により植えられると、充分に育つ作物として認められるようになる。
貧しい農民や労働者は、近代初期までソバを利用したポリッジやガレットを主食とした。
伝統的なガレットは食事用の塩味だったが、現在は種類も豊富になっている。
そんなガレットの生まれ故郷だけあって、私もガレットを食べる気まんまんで、中心街に行くとクレープリーを沢山見かける。
何処が美味しいのかが分からない為
直感で店に入ると、そこのコンプレットはガレットの中に卵が入って無くて
折り畳んだガレットの上に目玉焼きが乗っかってるスタイルだ。
斬新ではあるが邪道な気もして、焼き面がパリッとして無く少々残念で味もそこそこで、東京のル ブルターニュの方が美味しかった。
また夜、じっくり美味しいクレープリーを探す事にして、ホテルに戻る。
時間が夜の8時30分になると再び中心街に出るが、残念ながら、私の行きたかったクレープリーの3店舗が満席で入れ無かった
フランス人は8時に夜ゴハンをするのが原因で混んでたのだと思う。
仕方なく散策して、レストランを探すと
la gouletteと言う、クスクス、ブロシェット等が売りのモロッコレストランがあったので、そこに入ってみる事にした。
ここが大当たりで大満足だった。クスクスの手本になる味でフランスに来て一回も米を食べて無い私にとってクスクスは米に近い感覚で、なんかホッとする味だった。店のBGMも何故か私のツボで空間の作り方もカッコ良く非常に勉強になった店だ。
☆料理写真はカメラの写真が送れ無い為後日up予定
ガレットには振られてしまったがクスクスが今迄の人生で一番美味しい店に巡り会えたのは大きな収穫だ
日本に帰ったら私はブルターニュ地方と言えばガレットよりクスクスが美味しいと言うだろう。
明日はいよいよ今回の旅行最後の目的地
モンサンミッシェルへ向かう。
今日の1曲
A night in Tunisia / Roland Dyens